誕生名:アメンエムハト
即位名:セヘテプイブラー
在位B.C.1991〜1962。誕生名の意味は「アメン神を頭上にかかげる」、即位名の意味は「ラー神の心は満足せり」。平民出身の彼は最終的にクーデターによりファラオの座に上り詰めた。即位の正当性を示すために「ネフェルティの予言」という物語を作らせている。これは第4王朝のスネフェル王の時代に預言者ネフェルティが(第1中間期の混乱を経て)自分が救世主として即位することを予言していたという内容。息子との共同統治(治世の終盤に息子を即位させ、共同で国を統治する)というシステムを導入し、王位の継承がスムーズにいくようにした。クーデターにより即位した彼は、いつか同じことをされるのではないかと、家臣による謀反を異常に恐れていた。その恐れ通り彼は暗殺されてしまうが、共同統治により息子のセンウセレト1世が既に即位していたため、王位は息子によって引継がれた。
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かつて上下エジプトの王、スネフェル陛下がこの国を治める慈愛深き王だった頃の話です。ある日、王の臣下がいつものように王に挨拶をしてから下がって行きました。陛下は「今出て行った者達を呼び戻せ」と言われ、すぐに連れ戻されました。陛下は「誰か私が楽しめるような言葉や物語を話せる者はいないか?」と言われました。すると臣下の一人が言いました。「王、私はバステト神の偉大な司祭を知っております。名前はネフェルティといい、財もあり優れた人物であります。彼を是非御前にお召し下さい。」王は「それではその者を連れてまいれ。」と言われ、すぐに彼が連れて来られました。陛下は「ネフェルティよ、何か楽しめるような話をして欲しい」と言われました。ネフェルティは「過去の話がよいでしょうか、それとも未来の話がよいでしょうか?」と聞きました。王は「未来の話を。」と言われ、ネフェルティの言葉を書記に記させました。 彼はこの国に起こることを思い浮かべ、語りました。国土は完全に滅ぼされる。日照は著しく減り、人々は生きていけない。川は干上がり、徒歩で渡ることが可能である。外国人がエジプトに住みつき、人々は武器をとった。全てが逆転している。貧乏人が富を得、召使が上位にいる。神の地はもはやない。 そんな時一人の南部の王が現れた。名前はアメニ(アメンエムハトのこと)、上エジプトの王、声正しき者である。喜べ、彼によって国中に秩序が回復した。外国人は追放され、謀反人は倒れた。 |
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Aセンウセレト1世
誕生名:センウセレト
即位名:ケペルカラー
在位B.C.1971〜1926。誕生名の意味は「女神セウレトの人」、即位名の意味は「ラーの魂が実存にいたる」。父アメンエムハト1世の暗殺事件の時は軍事遠征中であったが、急遽帰国してクーデターを鎮圧、事態の収拾に努めた。この時代に書かれた「アメンエムハト1世の教訓」は、死後のアメンエムハト1世が語り手となり、息子のセンウセレト1世に対して、自分と同じ悲劇(暗殺)に見舞われないよう、他人を信用しないようにと諭す内容。またその暗殺劇を舞台にした物語「シヌヘの物語」は書記の学校の教科書にも使われた人気作品。写本もたくさん残っている。
センウセレト1世 |
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上下エジプトの王、故アメンエムハトが息子センウセレトに教訓を語る。神王として国を支配するために、あらゆる佳きことを成就するために、この教訓に耳を傾けなさい。 臣下には充分注意しなさい。兄弟、友人を信頼するな。眠る時には自らの身は自ら守りなさい。私は目をかけてやった臣下に裏切られ、命を奪われた。あれは夕食後、私は疲れてベッドに横になっていた。その時自分を警護していた衛兵が自分に刃を向けた。慌てて応戦したが、暗闇の中突然のこと、助けもなしに刺客を倒すことは不可能だった。こうして私はあなたの不在時に殺害された。この陰謀は、自分が臣下を盲目的に信頼し、そのことに考え及ばず十分な準備もしてこなかったことが引き起こしてしまったものである。 私は王として国の領土を広げ、人々に養ってきた。ワニを捕らえ、外国人を追放し、黄金の宮殿を建てた。 我が息子センウセレトよ、私はあなたが気がかりである。堅固な砦を築き、他人を信頼せずとにかく用心しなさい。 |
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世襲貴族、伯爵、裁判官であり、王に愛されし忠臣シヌヘは次のように語った。 私は王の息子センウセレト1世の妃に仕える従者であった。アメンエムハト1世陛下の治世30年、洪水期の第3月7日、陛下は死去された。臣下や国民は嘆き悲しんだ。その時王の息子であるセンウセレト1世新王はリビアへの軍事遠征の指揮を執っており、今捕虜やその他戦利品を携えて帰国の途にあった。その時宮殿の使者に会い、訃報を聞いた王子は迷わず軍隊を残して従者と共に都に向かった。軍に同行していた他の王子達も呼び寄せられた。私は彼らの会話(陰謀の計画)を聞いてしまった。恐ろしくなった私はそこから逃げ出した。次の日には東の国境(要塞)を超えたが、喉がカラカラであった。そこでアジア人の一行とすれ違い、その中に私を知る族長がいて、彼が私に牛乳をくれた。私は国から国へと彷徨い歩いた。シリアの地で、その地の支配者のアンミ・エンシは「何故あなたはここに来たのか?王都でいったい何が起こったのか?」と聞いた。私は答えた。「上下エジプトの王アメンエムハト1世陛下が殺害され、そのため混乱しています。」彼は更に聞いた。「神王が亡くなってしまい、あの国はどうなるのか?」私は答えた。「もちろん彼の息子が王位を引継ぎました。彼は大変有能で、並ぶ者もない神です。あなたも陛下に忠誠を誓うべきです。彼は忠実な国に対しては必ずよいことをしてくれます。」すると彼はこう言った。「なるほど。エジプトは大変栄えて幸福な所です。ところで、あなたは是非ここに留まって私のそばにいなさい。」彼は自分の長女と私を結婚させ、国境近くの土地をくれた。その土地は果実が多く実り、大麦、小麦も採れ、家畜も多い豊かな土地だった。私は長い年月をそこで過し、子供達はみな強い指導者に成長した。私は誰にでも施しを与えた。喉の渇いた者には水を与え、道に迷った者には正しい道を教えた。その地の軍の指揮者であった私を殺そうとする強い男がいた。私は彼の挑戦を受け、彼を打ち負かした。私は更に豊かになった。 私は都を逃げ出し、この地で豊かな暮らしをしてきた。しかし今私は年老いて、間もなく死を迎える。私は生まれ故郷の地で埋葬されたい。神よ、私を逃走させ給うた神よ、私を助けて下さい。再び都に戻って王妃と彼女の子供達に仕えることが出来ますように。陛下が再び私をお召しになって下さるように。 ある日上下エジプトの王センウセレト1世陛下は、私の今の状況をお知りになり、私に贈り物と一緒に使者を送られた。私に帰国を促す手紙とともに。「あなたは都を出て、長い年月を遠い異国の地で暮らしてきた。あなたはエジプトに帰国し、生まれ育った家に戻り、臣下に加わりなさい。あなたは異国の地で死ぬべきではない。故郷の地で儀式に則り埋葬されるべきである。」 私は喜びに満ちてこう言った。「ああ、陛下はなんと寛大なのでしょう。陛下は私が故郷で死ぬことを許して下さった。」間もなく王の迎えの使者がやって来た。私は子供達に財産全てを譲り渡し、都へと帰った。エジプトに戻った私は王宮に案内された。謁見の間で玉座に座った王は私に挨拶をして下さったが、私は言葉が出てこなかった。王は言われた。「あなたは異国を彷徨い、老年に達している。あなたの遺体は異国に埋葬されるべきではない。決して再びこのようなことをしてはいけない。」私は恐れながら言った。「全く答えることが出来ません。私の逃走は神の定めたものでありました。陛下の思う通りになさって下さい。」そこに王妃と子供達が入ってきた。王は王妃に向かってこう言われた。「シヌヘが戻ってきた。アジア人の格好をしている。」王妃と子供達は驚いて声をあげた。「王よ、彼はシヌヘではありません。」陛下は言われた。「いや、彼は本当にシヌヘだ。」彼らは王を讃え、シヌヘに対して寛大であるようにと言った。すると陛下は「彼を恐れる必要はない。彼は廷臣となり、元の地位につくであろう。」私は謁見の間を出て王子の一人の家で仕事に加わった。私は身体を清められ、上等の衣服を着せられ、香油を塗られた。私は庭付きの家を与えられた。ピラミッド墓地の中に私の墓が建造された。こうして私は最後の日まで王のお気に入りであった。 |
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Bアメンエムハト2世
誕生名:アメンエムハト
即位名:ネブカウラー
在位B.C.1929〜1895。即位名の意味は「ラーの魂はすべからく黄金色」。父のセンウセレト1世在位中に共同統治者として即位した。ナイル川の灌漑事業などを積極的に行った。
アメンエムハト2世のステラ |
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Cセンウセレト2世
誕生名:センウセレト
即位名:カーケペルラー
在位B.C.1897〜1878。即位名の意味は「ラーの魂が出現する」。父王の晩年に共同統治者として即位した。ファイユーム地方にピラミッドを造ったが、この王朝のピラミッドは古王国時代のように石造りの頑丈なものではなく日干し煉瓦製のため現在ではほとんど原形を留めていない。
Dセンウセレト3世
誕生名:センウセレト
即位名:カーカウラー
在位B.C.1878〜1841。即位名の意味は「ラーの魂の如く出現する」。2メートル以上の長身、大男、偉大な戦士という記録が残っており、国内、国外問わず軍事的手腕を奮って安定させた。ヌビアでの軍事活動で南の国境を更に南下させ、「自分の勝ち取ったこの領土を守るのは我が息子の務め。守れない者は我が息子ではない」という碑文を国境付近に建てた。
センウセレト3世 | センウセレト3世の石碑 |
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Eアメンエムハト3世
誕生名:アメンエムハト
即位名:ニマアトラー
在位B.C.1842〜1797。即位名の意味は「ラーの正義に属する」。経済的にも繁栄していた時代。ダハシュールとハワラにピラミッドを造った。一人で複数のピラミッドを建設したのは第4王朝のスネフェル王とこの王のみ。
アメンエムハト3世 |
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Fアメンエムハト4世
誕生名:アメンエムハト
即位名:マアケルウラー
在位B.C.1798〜1786。即位名の意味は「ラーは真実の声」。あまり情報が残っていない。若くして亡くなった。
Gセベクネフェル女王
誕生名:セベクネフェル
即位名:セベクカラー
在位B.C.1785〜1782。誕生名の意味は「セベク神は美しい」、即位名の意味は「セベクはラーの魂」。アメンエムハト4世の急死後、摂政として統治し、その後正式に女王として即位した。しかし在位は短期間で業績などはほとんど不明。血縁が途絶え第12王朝は終焉を迎えた。